ここでは、御殿山神社 について紹介します。
所在地:渚本町12-55
【ポイント】
①.祭神は八幡大神。
②.渚院跡観音寺境内の粟倉神社御旅所が起源。
・元和(ゲンナ)2年(1616)八幡大神を渚院の跡地の観音寺に勧請し、西粟倉神社と称し小倉・渚両村の産土神社とする。
③.明治2年(1869)神仏分離令で観音寺は廃寺され、西粟倉神社は御殿山に移転、明治3年御殿山神社と改称。
④.遷宮絵馬が市指定文化財に指定される
⑤.御殿山の由来は、中世の渚城からその跡地に江戸初期に領主永井伊賀守がここに陣屋を構えたことによる。
※ 御殿山生涯美術学習センターの建設時の発掘調査で中世の遺構と江戸期の遺構が出土。
【関連写真】
【補足説明】
①.現地教育委員会案内板より
御殿山神社は、渚院跡の観音寺境内に隣接して設けられた粟倉神社(現小倉町)の御旅所を起源とする。のち、江戸文政年間に八幡大神を勧請し西粟倉神社と称したが、明治初年の神仏分離令によって御殿山に社殿を造営し、明治3年9月当地に遷宮し御殿山神社と改称した。
御殿山の名称は惟喬親王の渚院の四阿(アズマヤ)に起源すると伝わるが、江戸初期に淀藩主永井家系統の永井伊賀守が領地支配の陣屋を建てたためと考えられる。
祭神は八幡大神(品陀和気命)、末社として稲荷神社、貴船神社を祀る。
なお、私立御殿山美術センター建設に先立つ1986年の発掘調査で、弥生時代から平安時代にかけての住居・建物跡や中世の大溝が検出され、江戸時代の建物跡など陣屋に関する遺構も見つかった。 1995年枚方市教育委員会
②.現地御殿山神社案内板より
元大字渚には渚院址の観音寺境内に小倉の粟倉神社御旅所があるのみであったが、元和2年(1616)、小倉村に社殿を造営し、八幡大神を勧請して八幡宮と称し小倉・渚両村の産土神として仰いできた。文政年間には渚村産土神勧請の議が起り、前記御旅所に八幡大神を勧請して、本地の産土神と斎祀り西粟倉神社と称した。
明治2年(1869)、神仏分離のため、御殿山に新たに社殿を造営し、明治3年(1870)9月19日御殿山神社と改称した。 境内末社に稲荷社と貴船神社の2社がある。
【参考情報】
インターネット:次元回廊「御殿山」