ここでは、田中家住宅母主屋 について紹介します。

在所 枚方市藤坂天神町5番1号 
種別 府指定文化財 有形文化財 建造物
指定 昭和50年08月27日
所有 枚方市

【ポイント】 

①.田中家は、奈良時代から代々鋳物師(イモジ)として繁栄してきた。

②.昭和40年に、山之上(意賀美神社東側)にあった工場を廃業し、工場と住宅を枚方市に寄贈。

③.昭和59年(1984)にこの地に移設して「枚方市立旧田中家鋳物民族資料館」として開館。

④.建物の内部裏の土間は、民族資料の展示場として活用されている。

【関連写真】

 田中家母屋2013_05_21金只  

 説明板と座敷2013_05_21 金只  田中家母屋説明板2013_05_21 金只  

​【補足説明】

①.現地案内板「表屋の間取り」より

 この家は、田中家の表屋(オモヤ)として使われていたものです。

 北河内一帯の農家は屋根にわらなどを葺いていましたが、田中家は鋳物師(イモジ)という火を使う仕事をしていたためか瓦を葺いています。しかし、その他は農家とほとんど変わりません。

 家の中は、約半分を畳敷、残り半分を土間とし、土間の奥にはカマヤと呼ばれる炊事場があります。畳敷部分は「田」の字形に部屋を区切り、それぞれを使い分けていました。ナカノマは入口に一番近いため日常的な客の接待に使い、サシキは正式な客間、ダイドコロは食堂兼居間、ヘヤは寝室に使っていました。

②.枚方市ホームページより

 田中家は、河内鋳物師として代々鋳造業を営んできました。枚方市は、枚方上之町にあった鋳物工場と主屋の寄贈をうけ、藤阪に移築復原し旧田中家鋳物民俗資料館として開館しました。主屋は桁行8間・梁行4間半、切妻造本瓦葺で、鋳物師という火を扱う職業の性格上、建築当初から瓦葺でした。工場は桁行12間・梁行5間半、寄棟造本瓦葺で、近世の鋳物工場として全国に例を見ない珍しい建築遺構です。主屋の建築年代は元文4年(1739)を下限とし、工場もあまり隔たりのない時期の建築と考えられます。