ここでは、西願寺 について紹介します。

在所:茄子作二丁目3-26

【ポイント】

①.久寿2年(1155)開基・・・草庵でスタート。

②.第3代住職の太田道潅の孫から血脈が現在に続く。

③.現在の本堂は、寛政9年(1797)に竣工。

④.寺院は浄土真宗本願寺派

⑤.山号は、光明山

【関連写真】

​ 全景2013_06_16 金只​   本堂2013_06_16 金只  

​ 親鸞聖人像と鐘楼2013_06_16 金只 ​   十三重石塔2013_06_16 金只​   

​ 龍に仕立てた松2013_09_10 金只​   

【補足説明】

①.西願寺開基850年法要記念小冊子より

 西願寺は平安時代終りの頃、尼ケ崎西性寺より祐性(開基住職)なる僧が当地に来られ、草庵を結ばれたことに始まります。祐信祐性が往生されたのが久寿2年(1155)12月27日で、この年の30年後には壇ノ浦で平家が滅亡しています。その後は住職が一定せず、旅僧がこの地に足を留める時期がありました。

 やがて室町江戸時代、江戸城をはじめて築城した太田道潅の孫に当る彗厳(中興開山)が、巡り巡って当寺に居を定め、布教の日々を重ねられたのでした。地元の人々は同師の血脈の方を招請し、長く当寺の後継者にお願いしたのです。その結果彗厳は孫の祐信を伏見の西岸寺より迎え法嗣とされました。その後当寺は連綿として続き、現在に至っております。

 4世祐信は太田道潅のをひく立場から、徳川家康に従って軍功があったために、桃山時代の文禄元年(1592)に次の恩賞が渡された。

 一.貴坊末流之物(祐信)拙者幕下可為同様者而 騎馬 一疋 長刀 一振

   大小一腰太刀一帯可令授与者也

       文禄元年正月2日     家康 在判

     顕如御坊

 江戸時代に入り、承応元年(1652)に初めて寺号を公称、元禄3年(1690)にはいままでの看坊制を改めて常住寺となりました。そして元禄8年(1695)には本堂の大修理がなされております。

 その後、延享4年(1747)には本願寺より、ご本尊の下附がありました。

 やがて、藁葺(ワラブキ)であった本堂を5間4面の瓦葺に再建することになり、安永9年(1780)に普請願を本山に提出、17年後の寛政9年(1797)に竣工したのです。それより208年の時の流れを経てこのたび本堂修復落成慶讃法要の日を迎えました。      平成4年1月16日 住職 太田祐仁