- サーン・プラ・プーム
チャイモンコン(吉祥)神を祀る祠。ラタナコーシン様式の祠が一本足の支柱に支えられ、内部にきらびやかな武具を身に付けたチャイモンコン神が祀られている。
- サーン・チャオ・ティー
その土地に住まう精霊チャオ・ティーを祀る。祠の部分がタイスタイルの高床式の屋敷で、御簾の内部に土地の精鋭である老父婦の像が祀られている。祠の支柱は4本。
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サーン・プロム
ヒンドゥー系の神を祀る。4本の柱に支えられた天蓋を擁し、ブラーマン(梵天)神、ガネーシャ神など、ヒンドゥー系の神が鎮座している。
神の主食は天界の甘露、精霊は人間の食べ物の気を吸う。そのため、供え物は両者とも供花、線香5本、水、果物、肉。ただし、チャオ・ティーは老父婦なので、キンマや巻きタバコも供える。
構内のスピリットハウス
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サーン・プラ・プーム、サーン・プロムの参拝方法
神々は精霊よりも高い次元の存在であるため、挨拶というよりも特定された請願(ボン)を行う。たとえば、仕事順調、学業成就、金運上昇など。神々は仏と違い涅槃の境地に達していないので欲がある。また、天界の甘露水を飲んでいるとされるが、人間の供え物にも頼っている。そのため、人間の願い事を叶える代わりに、何かをしてもらうという契約を結ぶ。例えば、エラワン廟前で度々見かけるタイダンスは、請願成就のお礼として奉納される。
サーン・チャオ・ティーの参拝方法
引越しや土地を購入した際に、その土地に以前から住んでいるチャオ・ティーを祀るために設えられる。我々に災難が起こらぬよう、供物を捧げて加護を願う。タイの人々は自分に関連する以外の場所のチャオ・ティーでも、その前を通る際には立ち止まってワイをする。こうすることで加護を願っている。
参考文献
- 石高真吾(2017)「サーン ・プラ・プーム」綾部真雄編『タイを知るための72章【第2版】』(明石書店)
- 加納寛(1996)「バンコク市街地における土地神信仰の変遷ーー祠・神体の形態変化を中心にーー」東南アジア学会編『東南アジア』1996巻25号28-57ページ