映画「モルエラニの霧の中」を事業として成功させる室蘭

 

室蘭市民の活動は、福島に学び、応援から事業主体に進化するだろう

室蘭の素晴らしい風景と人々を描く映画をつくりたい監督がいる。この映画を完成させて、地元に還元するところまでの事業に責任を持とうとする市民がいる。

坪川監督の映画の撮影を支えるために福島で生まれた「応援団方式」。室蘭市民が取り組むのはお金を集めて撮影の応援し、監督や出資者に帰属する著作権を守るところまでやりたい。出資ではなく、寄付や協賛という形で集められた市民のお金や思いに対する「配当ではない形での恩返し」を生み出さなくてはならない。

ホテルなどの企 業には宿泊数が増える未来を、飲食店などにはたくさんのお客様を。街に活気と誇りを還元する事業としたい。活動の中心となる「応援団」は、今後善意の手伝いから事業主体へと成長することになる。この活動は住民による、クリエイターを活用した地元振興の一つの形を見せることになる。

 

目標通り1,000人の市民が市民会館を埋めた

去る2015年9月11日、昼夜の二回開催された映画「モルエラニの霧の中」の「中間報告会」で、全7章のうち、3作品のダイジェストや完成直前の映像が披露された。会場から「蒸気機関車が懐かしい」「青少年科学館を大事にしたい」「自分の街が不思議なくらい美しくみえる」などの声が聞かれた。人気の市民キャストが映像にでるとどよめきが起こり、監督と友人の生のピアノ、アコーディオン、バイオリンの演奏で観る映像の評価は高かった。

市民の関心は高く昼夜ともに満席。市民会館を埋めて、1,000人の集客目標を達成し、新たなサポーターも獲得している。

 

成功は地道なチケット配布と室民を活用した広報戦略

ボランティアスタッフ、応援団事務局の努力でチケットを一枚、一枚手渡してあるいたことに評価が集まる。特に初期から活動されている吉田さんの「チケットの配布の量と思いの込め方はすごかった」と関係者からの声。加えて、広報スタッフの緻密な仕事で、室蘭民報の特集が始まってから、市内での評判が急激に上がることになり、会場を溢れさせる危惧さえ起こった。肖像権のあるプロの俳優たちの力を借りず、室民記者の丁寧な取材で、スタッフや市民キャストの魅力が描かれると「やっとこの映画をやる意味がわかった。応援したい」「記事のおかげで、本当に応援しようとおもった。感動して市民会館に行きたくなった」などの声が寄せられる。

 

私、室蘭大嫌いだったんです

司会をつとめた内藤さんは「私、室蘭大嫌いだったんです。でも、やっとこの街の魅力に気づくことができてうれしい」とかたり、彼女のように多くの人が室蘭の美しさ、力強さを感じている。内藤さんは「嫌い」という思いも、地元への愛情であったことに気づいている。

 

観光客を増やすことで室蘭の産業に貢献する

松永副団長は、挨拶で「平さん(故平武彦さん:観光協会会長など)に室蘭とってとても大事な映画だ絶対に作らなければならない」と言われたこと。監督の坪川さんと写真家の山口さんから「室蘭の風景は日本でも稀な素晴らしさ」と指摘されたことが活動に参加するきっかけだったという。大きなスポンサーをつけず、市民が資金集めから取り組み、最後は、この映画の美しい映像で、次の映画の撮影を誘発したり、観光客を増やすことで室蘭の産業に貢献するとその道筋を説いた。

 

 

福島での成功と大きな失意、室蘭での再生

坪川監督によると、彼の最初の作品が映画祭の賞を取るに至るまで、バイトをしては撮影をくりかえすという情熱と努力で、9年の歳月をかけて撮影されたこと。最新作の「ハーメルン」では製作会社が監督の選んだ主演の役者を降板させる、撮影地の小学校を廃校予定なら炎上させるなどの指示を蹴ったために物別れに終わった。そのあと、一人の俳優から会津若松の酒蔵のおかみさんを紹介された。おかみさんが声をかけて地元に「応援団」ができて、数ヶ月で3.000万円の制作費を集め、撮影をすることができたと、その経緯を話した。

そして、大手配給がスポンサーを申し出たことにより編集、制作の費用も提供され無事完成した。しかし、著作権は全て配給に渡してしまうことになった。地元で上映するにも、配給にお金を払い、DVDも購入しなければならない。映画の収入、利益は監督にも地元にも還元されない常態に落ちってしまったと。「映画なんて」と諦めかけたときに、故郷の室蘭の風景に再開、自然にシナリオを書き始め、平さんに出会い、芯からのやる気を取り戻していった過程が話された。
 

映画の話を聞いた中学生が取材

桜蘭中学校の一年生二人が、昼と夜の上映会の合間、監督にインタビューをしていた。監督は大人に話す以上に丁寧に自分の心がけを伝える。「照明さんと音声さんが喧嘩していたら、どんなに頑張ってもその日撮影した映像にそれが出てしまうんです」と、監督自身の挨拶一つ、謙虚さが大切だと自分を振り返っていた。