小説「海洞」のつづき的な2次創作フラッシュフィクション

 

街を編集する

 徳太郎はアメリカで少数民族会議に出席していた。彼自身は日本人として日本人の両親に東京で育てられたのだが、戦時中に日本に亡命していたインド人が実の父親であった。アイヌの人々との交流の中で世界少数民族会議に出席したが、世界各地の少数民族事情を知るにつれて、むしろ少数民族問題から興味が薄れるのはインドと日本という大国の民族の血がそうさせたのだろうか。

 それよりも、会議の前日の懇親会でたまたま隣の席に居合わせたデービスから来たという数学科の大学院生との会話ばかりが思い出された。フィリップというその学生は、大学の授業の一環としてローカルウィキなるものをインターネット上に立ち上げたというのである。ウィキというのは、ブラウザでネット上のページを自由に編集したり閲覧したりできる便利なシステムであることは徳太郎も知っていたが、ローカルウィキとは?

 フィリップが言うには、デービスの住民が自分たちの街の店や出来事などをネット上で記事にして、だれでも編集出来るシステムなのだという。たとえば、どこそこの店のピザがおいしいとか、あのビルの裏の通りはひったくりが多くて危ないといった類の記事である。こういった情報は企業や公的機関のホームページではなかなか表に出てきにくい。市民のひとりひとりが記者となって、ネット上で24時間365日編集会議を繰り広げているというのだ。

 

 徳太郎の頭からは、少数民族会議の最中も「24時間365日編集会議」という言葉が離れなかった。東京に戻った徳太郎は、以前依頼を受けて札幌市のPRホームページを作成したことをふと思い出した。ウェブコンテンツ作成会社から独立したばかりということもあって、ローカルウィキで札幌を紹介することにしばらく没頭した。友達や、学校の先生、そしてその生徒までも巻き込んで次々と思いもよらなかった視点の記事がうまれて来る楽しみに、すぐにやみつきになった。

 そんな折、室蘭の大学のS先生から短いメールが入った。
「明日100人の学生とマッピングパーティーをやるんですけど、手伝ってもらえませんか?」
明日?100人でマッピング?どだい唐突で、無謀な話なのだが、S先生は先日のマッピングパーティーで知り合いになったばかりの先生で、簡単に断ることができない。それに、マッピングパーティーというのはローカルウィキの記事に貼り付ける地図の元になっているOpenStreetMapを草の根で手作りする集まりのことで、ローカルウィキに夢中な徳太郎は深夜バスで札幌から室蘭に向かうことにした。

 

やきとりが人をつなげる

 ところが、いつも泊まる東室蘭駅の前のホテルが満室で宿泊できない。さすがに前日予約というのは、いくら人口が半減した室蘭でも無理があったか。いやむしろ、人口が少なくなったからこそホテルのキャパシティーも小さくなっているのかもしれない。ああ、また輪西の室蘭やきとりが食べたかったのに、今回は無理かなと思った瞬間に焼き鳥屋のとみちゃんが輪西から坂を登ったあたりに室蘭ユースがあってだれでも安く泊まれるし、早起きすれば朝日も綺麗だよとおしえてくれたことを思い出した。

撮影:杉山幹夫

さっそく電話を入れてみると、部屋はいつも空室があるらしく簡単に宿泊予約がとれた。

 小雪が舞う中で街中を歩き、相変わらず大学の先生のやることはわけがわからんなと思いながらも、なんとか無事マッピングパーティーを終えた。徳太郎は、室蘭に来た時にはいつもやるように輪西でやき鳥と輪西ワインを一杯飲んだあと、タクシーで室蘭ユースホステルに向かった。タクシーで来てみると、随分近く感じる。歩いても20分ぐらいの距離であろう。
 

 門限ギリギリの午後10時にユースに入った徳太郎を出迎えてくれたのは背の高い痩せ気味の老紳士だった。ユースの管理人を紳士と呼ぶのも少し妙かもしれないが、顔に刻まれた深いシワと透き通った眼から、ふと紳士という言葉が徳太郎のあたまにうかんだ。それにその紳士ペアレントはやけに徳太郎の顔をまじまじと観察しているようにも感じる。


 宿帳に「南原徳太郎」と記名したところで、紳士ペアレントが話しかけてきた。
「ここでは朝日も綺麗ですが、ここから大沢町のあたりまで断崖の上にトレイルがあって、そこを歩くと景色がすごく綺麗ですよ」
次の日はたまたま仕事が入っていなかった徳太郎はペアレントの勧めるとおりイタンキ浜から大沢町に向かうトレイルを歩いてみた。

 

断崖トレイル

 そこはまるで日本とはおもえないような断崖絶壁の連続した絶景が延々とトッカリショや地球岬まで続いていたのである。200メートルほどの崖の下には、太平洋の海が透明に輝いており、よく見ると200メートル先だというのに海底の岩礁まで垣間見えるほどである。

撮影:中村麻貴

「こんな美しい海岸線はイギリスでも見たことがないな」
と徳太郎は思わずつぶやきながらトッカリショまでトレイルランニングで汗を流した。シャワーを浴びて、その朝見逃した朝日を見るために徳太郎はユースにもう一泊することにした。

 汗を洗い流してユースのロビーに出てみると、紳士ペアレントが話しかけてきた。
「どうでしたか景色は?トレイルは歩きやすかったですか?」
「はい、綺麗に草刈りされていて歩きやすかったですよ。思わずランニングまでしてしまいました」
と答える徳太郎に、紳士ペアレントは静かに長い話を始めた。

 

アフンルパロ

「実は、あのトレイルはわたしが暇な時に草刈りをしているのですよ。機械で刈ればあっという間なんだけど、手鎌で少しずつね」
「手鎌で?」
あっけにとられる徳太郎の顔を紳士ペアレントが嬉しそうに見つめる。徳太郎のほうも、相手の顔がどうもどこかで見たことのある顔に見えてくるから不思議なものである。

老紳士の話がつづく。
「実はわたしはこの海で30年前に妻を亡くしたんです」
「・・・」
「東京のプロダクション会社に勤めていたころでしたが、親戚が室蘭にあったという縁もあって、アイヌ美人とめぐりあいましてね。結婚して子供が生まれたのを機会に、室蘭に母の墓を建てに来たんです」
なんだか昨日会ったばかりの他人に話すにしてはディープな内容が突然始まった。
「あの断崖の下には海蝕洞がいくつもあって、アイヌの人々はアフンルパロと呼んで、あの世とこの世がその海蝕洞でつながっていると信じているんです。わたしの母は、わたしが子供の頃に肺の病で死んでしまったのですが、まともに弔うことも出来ずにいました。そんな母が生前信仰の対象にしていた観音像がそのアフンルパロに安置されていたのです。なぜ母の形見がアフンルパロにあったのかという物語を話し始めると長くなりそうなので省略しますが・・・」

撮影:井上大介

 と話がすこし切れたところで徳太郎は老紳士の顔から30年前の出来事や人々がかすかに蘇ってきて、首筋から背中にかけてぞくぞくした軽いしびれが走るのを感じた。老紳士はそんな徳太郎を見ながらつづける。
「墓を室蘭につくるに当たって、その形見の観音像をアフンルパロから、あたらしい墓に移そうとしたのです。ところが事故が起きたのです」

 

手鎌で笹を刈り続ける

 徳太郎には老紳士がつばをゴクリと飲んだのがわかった。その老紳士が誰なのか、徳太郎にはこのときはっきりと記憶が蘇った。
「アフンルパロには妻が観音像を取りに行ったのですが、いつまで経っても帰ってこないのです。大きな波にあって舟から落ちたのかもしれません。でもわたしには信じることが、妻が死んだなんて受け入れることが出来ませんでした。それから毎週のように週末には室蘭に来てこの断崖の上を歩いたのです。あのときすぐに妻の小舟を救助に向かうべきだったんです。僧侶や近親者が集まって、墓石の建立の儀式をとりおこなっていた都合上、帰りのおそい妻の捜索を後回しにして、儀式や挨拶に追われてしまったのです。そのあと、海上保安庁にも捜索船を出してもらって妻を探しましたが、遺体も見つかりませんでした。わたしは妻がいなくなったことが受け入れられず、毎週のようにこの断崖の上を歩きまわったのです。

撮影:倉地清美

 妻の捜索を後回しにした自分が許せませんでした。断崖絶壁から身を投げてしまえば、どんなに楽だろうと何度思ったことか・・・

 この断崖にはよく海霧が上がってきます。わたしは、海霧の中に何度も妻の影をみましたよ。海霧がくればいつでもピリカ・メノコに逢えるのです。まあ、そういう錯覚を味わえるというだけですけどね」


 錯覚という言葉に老紳士も徳太郎も現実の世界に一気に引き戻されたような感覚であった。
「清隆さん、いつからこのユースではたらいているんですか?」
徳太郎は思い出していた。この老紳士が30年前に1年間だけ東京で自分の家に下宿していた大浦清隆であることを。

 清隆は自分の名前を最初に名乗らなかったことにはなにも触れず、はなしのつづきを晴れやかな表情で続けた。
「毎週の様にここにきて、断崖の上を歩いていると、だんだん踏み分け道が出来てきてね。朝露なんかに笹が濡れていると、靴や脚がびしょびしょに濡れるでしょう。それで、手鎌で笹を少しずつ刈るようになったのさ。そんなおり、このユースの管理人を募集しているという話を聞いてね。東京では毎日のように数億円単位で得をした、損をしたというビジネスの世界に居たが、なんだかトレイルの草刈りの方が魅力的に感じてきてね。それで、給料は10分の1ぐらいになったけど、このユースの管理人に収まったというわけさ」

撮影:杉山幹夫


(登場人物の南原徳太郎と大浦清隆は、小説「海洞」から借りましたが、ここに綴ったエピソードはすべてフィクションです)

 

(2015. 11.4 CC-BY-SA Yasushi Honda)

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