港北町の湧き水 について知っていることをぜひ教えてください

港北町3丁目に残る湧き水

もともとコイカクシ川の流域に広がる湿地帯だった港北町の山側には、昔から数多くの湧き水がありました。


社宅の暮らしと湧き水

昭和58年まで港北町にあった新日鐵の社宅街では、何箇所も写真のような水場がありました。かつて1メートル四方ほどのコンクリート枡の上部は開いていて、澄んだ水が溜められていました。近隣の住民はここを食器洗いに使ったり、野菜を洗ったり、夏場はスイカや野菜を冷やしたりしていました。

水場の周りには人が集まり、そこで会話が生まれ、「井戸端会議」ではないですが地域コミュニティの拠点として機能していたのです。

水場に設置されたコンクリート枡。昔はフタは無く上部が開いていた


湧き水のいま

平成の世となった今、社宅もすでに無く、港北町に残る湧き水は多くありません。今でも水場として活用されているのは、港北町3丁目のここだけです。ここもかつてあった屋根が無くなり、イタズラ防止のフタが設置され、ずいぶんと姿も変わりました。それでも休日になれば愛車を洗車しようと多くの人が車で乗り付けます。

社宅跡地に残された水場跡。中央部分はかつて道路だった。


湧き水の思い出を教えて下さい。

実は小学生の頃、まだフタのなかったここの枡に石を放り込んで遊んでました。フタが設置されたのは僕たちのせいかもしれません。(笑) [2015/01/05 山田 正樹]

 

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