通院の待合時間に一時間ほど歩く。

待合室から出ると、信号の東側角あたりがかつて室蘭に第一号となったボーリング場:スターレーンの建物があったところ。当時の花形ボウラーも訪れていた。

その南側のほうにもこれまた室蘭で第一号の通過型の洗車場があって、当時はめずらしく、洗車の列ができたもの。

東室蘭からイタンキを通ってユースホステルへを読んで歩きたくなった。

 


 

 

冬国を象徴するようなフード付

・南に歩いて旧国道36号線に出ると道路にかかる歩道橋。自動車が最優先とされた産業成長期には道路横断の安全性を確保するという理由で歩道橋が数多く設置された。

 

 

・旧国道36号線の東側を見たところ。生協がなくなり「西松屋」。右手に交番のそばの「わかさいも」もおいしい食事のできるお店だった。

 

 

・旧国道36号線と国道37号線の交差点。

 

 

・交差点のイタンキ浜側には東園小と大和小が統合されてできた「海陽小学校」が見える。ちなみに東側には北海道立室蘭栄高等学校が隣接してある。

 

 

・今も経営されているのか?「ドレメ」と言われた裁縫教室に今は死語となった「タイピスト」昔はタイプライターだったからね。

 

・国道37号線の中島-伊達方面。当時は先進の市営アパートも建替え時期となっている。

 

・国道37号線のイタンキ浜方面。浜側に室蘭中央町方面と登別-苫小牧方面に分岐する交差点がある。

 

 

・交差点角に建つ遊戯施設。市内に数多くあった映画館もこの建物の中に一軒だけとなってしまった。

 

・市営アパートの下層にあった商店のシャッター街。シャッターの絵は市内の高校の絵画クラブが描いたものだったはず。

 

 

・旧NTT。外から入れた社員食堂は安くて美味しかった。

 

 

・遊戯施設裏通りには「室蘭登別健保センター」。以前には「救急センター」の役割もあった。

 

 

・汐見の交差点から輪西側に来るとすぐに分岐があり、左に入ると翔陽中から「室蘭高等技術専門学校」に通じる道がある。

 

 

・分岐を左に入ってすぐにある建物あたりに60年前くらい前、映画館があった。小学校の映画鑑賞などで入った想い出がある。ちなみに「風の又三郎」はここで見たような。

 

 

・この建物裏には小さな居酒屋が数軒あってイタンキ工業団地内にあった会社帰りに先輩に連れて来られた記憶がよみがえった。

 

・今は表通りにはおいしい「牛タンの豊助」がある。

 

・向かいには今は老舗となった蕎麦の「小がね」がある。むかし流行始めていた「カレーそば」を紹介し、調理のお婆ちゃんと味を確かめ合ったことがあったっけ。

 

・並びにあったあっさり味の「汐見ラーメン」屋さんもいつのまにか無くなっていた。

 

 

当時は町工場としては大きな工場

・イタンキ工業団地の中心部に向かう道路と中学校に分岐する交差点。

この赤い建物、日鋼病院のサテライト:透析施設の場所にはむかし(株)富岡鉄工所があって、当時は町工場としては大きな工場で新聞にも載ったほどだった。今、イタンキ鉄工団地の中にあり、市内でも一番の大きな設備をもった大きな工場となっている。

 

・交差点から末広側を望む。以前の日本製鋼所の社宅あとに建った商業施設がある。

 

 

突き当たりがイタンキ浜

・その手前に工業団地が広がる。交差点との間には市営アパート群。

 

 

スパゲティサラダの味が

・市営アパートに併設されたショッピングモール。40年以上もまえ、昼に買い求めたスパゲティサラダの味が忘れられない。

 

・道路を挟んで改築されている市営アパートの脇に伸びる道を丘に向かうと旧貯水池を一望できるところへ上がることができる。(観光できる道路ではないが)

 

・町会の集会所。

 

・ここも通学の安全を確保するために歩道橋が作られている。

 

 

母校が合併で無くなる

・輪西の「鶴ケ崎中学校」と東町の「東中学校」が統合された「翔陽中学校」もともとは「大和小学校」があった場所。統合される前は「鶴ケ崎中」から分校されて「東中」ができたもの。市内のあちこちで同様の併合が行われていて「母校」がなくなっている。

 

・現在の国道36号線交差点。

 

 

東町イタンキ輪西は近い

・まっすぐ抜けると「北海道立室蘭高等技術専門学院」がある。昔の「職業訓練学校」である。

 

・この一角から国道37号線のイタンキ交差点までの間が工業団地・トラック団地となっている。以前のこの際までがゴルフ場の芝が生えていたところである。

 

・室蘭新道に繋がる輪西高架へ向かう道。

 

 

あの山の上に水瓶があった

・「翔陽中」のグランドの向こうには「室蘭のマチュピチュ」:貯水池跡を望む。

 

 

・振り返ってみると国道37号線と平行して遊歩道があった。年数を経ていて、もう少し手入れがされていれば「歩いて休む」場所としては好適なところという印象だった。

 

・自動販売機にまで海抜表示。なるほど。。

 

・イオン東町店の37号線をはさんであった幼稚園。すでに後背地に移ってはいたのだが、古い遊戯施設なども撤去されて、またひとつ懐かしい風景が消えていた。

 

・このイオン東町店の前身・ポスフール・桐屋ができるまでは当時の富士製鉄の社宅があり、大きなグランドがあった。会社の大運動会が開かれた場所でもあった。