寒川神社の茅の輪(ちのわ)6月・12月に設置される

社殿(2015年12月27日撮影)

社殿の提灯。千葉氏の月星紋です。(2015年12月27日撮影)

手水舎の龍。水の神様、ここにもいました。(2015年12月27日撮影)

千葉市中央区の寒川地区の総鎮守で、古くは神明神社、伊勢明神と呼ばれ、明治元年(1868年)に社号が寒川神社に改められた。

主神は天照大神。脇神は寒川比古命(さむがわひこのみこと)、寒川比賣命(さむがわひめのみこと)。

天正19年(1591年)、徳川家康が社領十石を寄進した。

昔、海上往来の船が同社の沖にさしかかると、帆を半ば下げて航行し、また、社前を馬で通行する者は下馬して敬意を表したと伝えられる。

寒川神社の例祭として、「御浜下り(おはまおり)」がある。出洲海岸にあった大鳥居(出洲海岸の埋立てと同時に寒川神社に移されたものの、地震により破損し、現存していない)をくぐって神輿が海に入る海中渡御が行われている。昭和39年に出洲海岸が埋立てられたことにより中断されていたが、寒川氏子青年会が中心となり、平成12年に約40年ぶりに復活させた。毎年8月20日の夕方、高張提灯に導かれた神輿が千葉ポートパークの砂浜に設けられた斎場に安置され、お祓いを受けた後、氏子青年会の担ぎ手により威勢よく海に入る。その後、浜に上がったり海に入ったりを3回繰り返し、禊を行う。市の地域文化財。

社殿の前の提灯には、千葉氏の月星紋。千葉の街の礎を築いた千葉氏と寒川神社、どんな関係があるのでしょうか?

 

(引用)境内案内板、寒川神社ホームページ、市ホームページ