蹲踞(つくばい)
昭和二十年に戦火で焼け残ったが、平成15年8月に修復したもの。

宝剣発見の所碑(昭和31年境内築造の折土中より直刀二振りが出土した場所を示す碑。2015年12月27日撮影)

昔の千葉の海岸線(現国道357号線)から100mほどのところにあります。

神社がある一帯は、古くから結城野(ゆうきの)といい、現在の地に結城稲荷と呼ばれる社があったそうです。

治承4年(1180年)9月、石橋山の戦いに敗れ房総半島に逃れた源頼朝が、捲土重来を期した北上の途上で、この稲荷に白旗を献上して源氏の再興を祈願したことから、以後、白旗大明神と称されていましたが、明治元年(1868年)、結城稲荷と分社し、白幡神社と社号を改め、現在に至っているとのこと。[1]

吾妻鏡によると、頼朝は治承4年9月17日に上総国から下総国に向かい、下総の国府にて千葉介常胤らと合流したとされている[2]ので、白旗の献上も同日前後と思慮される

また、昭和31年(1956年)2月3日、境内より古墳時代末期(1400〜1500年前)の金銅装飾直刀二振りが出土したことから、古墳時代から陸地だったこともわかりました。[1]

そう言えば、周囲の舗道には標高2.5mの表示がありますが、境内は1mほど高くなっています。

御祭神  誉田分命(ほんだわけのみこと)
大祭日  8月20日

 

参考文献:

[1]「白旗神社・結城稲荷神社由来」(境内表示)

[2]現代語訳「吾妻鏡1 頼朝の挙兵」35頁 編者:五味文彦、本郷和人 吉川弘文館発行