御由緒によると、日本書紀巻第9に「皇后、南紀伊国に詣りまして太子(譽田別命=応仁天皇)と日高に会いぬ。群臣とはかりて遂に忍熊の王(おしくまのみこ)を攻めむとして更に小竹宮に遷ります。神功皇后、応神天皇の地「小竹宮」を起源とします、と書かれています。

小竹八幡神社は旧御坊町(現在の御坊市の市街地)唯一の神社で、旧御坊町及び美浜町大字浜ノ瀬の産土神として、約2万人もの氏子を持つ当地きっての大神社です。

元々は現在地の北約1㎞にある御坊市立体育館周辺に鎮座していましたが、天正13年(1585)豊臣秀吉と敵対していた当時の支配者・湯川氏の本拠地が御坊にあったため戦乱に巻き込まれ消失してしまいました。元の宮跡は御坊市の史跡に指定され本宮と呼ばれ今でも飛地境内となっています。

現在地は紀州藩祖・徳川頼宣公の別邸 薗御殿があったところで、延宝元年(1673)に御殿が廃止になり、その跡地を譲り受けたものです。頼宣公の別邸は薗御殿のほかに広御殿(広川町)網代御殿(由良町)?(みなべ町)があったといわれています。

祭礼は10月4・5日に行われ「人を見たけりゃ御坊祭」と言われる日高地方最大の例大祭です。奉納神振行事の中でも「けほん踊」は県無形文化財第1号で国の選択芸能にも指定されており、「雀踊り」は市指定民俗文化財です。

 

ーー御坊市HPより転載ーー