ここでは、八丁松原公園 について紹介します。

在所:八丁畷町4

【ポイント】

①.江戸時代の高槻領主の永井直清が松並木を整備したのが始まり。

②.京口には、「八丁松原」の標石と来歴の石盤が設置されている。

【関連写真】

 西国街道側の標柱(八丁松原)2021_11_13 金只   歩道横に続く松並木2021_11_13 金只   

 中程の小さな広場2021_11_13 金只   小さな広場の地蔵尊2021_11_13 金只   

 京口の標石と案内盤2021_11_13 金只   案内盤詳細2021_11_13 金只   

 標石南の休憩所2021_11_13 金只   道路横の休憩ベンチ2021_11_13 金只
   
  阪急電鉄高架下の標柱2022_04_04 金只   

 

 【補足説明】

①.京口の来歴盤より

 史跡名勝八丁松原は、慶安2年7月(1649)高槻城主永井日向守が山城国勝龍寺より高槻城主に移封された。当時京口より西国街道に通ずる八丁の間にこの道路を新設し同時に松数百本が植えられ明治維新に至るまで城主永井氏代々により保護されてきた。

 その後、鉄道・道路の建設等により往時の名残りをわずかにとどめるところとなったが、昭和32年、当市は、これを史跡公園として永く保勝することとなった。

   昭和45年春  高槻市・八丁松原保存会

【参考情報】

インターネット:八丁松原:戦国を歩こう