ここでは、八幡大神宮(芝生町) について紹介します。

在所:芝生町一丁目9-27

【ポイント】

①.祭神は応神天皇(誉田別尊)。

②.貞観元年(859)宇佐八幡宮を山城国男山に奉還の節、この地の住民が神輿を奉昇した縁で出来た神社との言伝え。

 往昔、石清水八幡宮の祭礼には当社の氏子社参して輿丁を奉仕するのを例としたという。

【関連写真】

 正面前景2022_04_12 金只   案内板2022_04_12 金只   

 鳥居と拝殿2022_04_12 金只   本殿2022_04_12 金只   

 拝殿石垣の兎の彫刻2022_04_12 金只   彫刻の説明2022_04_12 金只   

 

【補足説明】

①.現地説明板(八幡大神宮)より

 御祭神 応神天皇(誉田別尊)

 当社の創立年代は不詳であるが、定観元年(859)九州の宇佐八幡宮を山城国男山に奉還の節、当地の住民がその神輿を奉昇した縁で、当社を営み応身天皇を祀って八幡大神宮としたと伝えられている。

 往昔、石清水八幡宮の祭礼には当社の氏子社参して輿丁を法師するのを例としたという。

 元の神域は芝生集落内にあったが、後に現在地に移座して奉安をもうしあげた(年代不詳、集落内に「古宮浦」の小宇がある)

 明治6年(1769)に本殿修復、天保5年(1834)から天保7年(1836)にかけて、境内の整備が行われて記録がのこっている。

 いまでは鎮守の社としての環境を形成し「芝生の八幡さん」として広く人々に親しまれ、五穀豊穣・家内安全・交通安全・安産・必勝の御神徳あらたかな神様として篤い崇敬を受けている。

 末社 天神社 御祭神 菅原道真

 境内地一帯の小字名を「天神山」という。

 延喜元年(901)菅原道真左遷され西下の途、当地で暫時休息され、たまたま見事な霊芝があるのをみて、芝生と名付けられたという。後に菅公の神徳を仰慕し、勧請合祀したとの説話があるが、この故記を証するものはない。

 学問・文芸・書道の神様として崇敬されている。

②.現地案内板(兎石)より

 風化が進み全体像は判りにくいが、兎が彫ってある。

 いつ、なにのために彫られたのかは不明。

 兎は神々からも愛された動物で、「白兎月之制也、其寿千歳」などと、白兎は瑞兆とされたことに由来するものなのか。

 兎の左に円形の模様のような線彫が施されている。

 当神社の不思議な石造物である。

【参考情報】

インターネット:八幡大神宮(芝生)