ここでは、橋本宿 の町並みについて紹介します。

在所:八幡市橋本中ノ町

【ポイント】

①.行基が架けた「山崎の橋」のたもとの場所として橋本と伝わる。

②.古来から石清水八幡宮参拝客の宿泊所として賑わった。

③.神社仏閣の宿泊所は必然的に、遊里として繫盛した。

④.公娼制度廃止後、遊郭の灯は消え現在は閑静な街になっている.。

⑥.橋本宿の古民家の特徴

 ・街道に面した入母屋造の建物。

  一階は、お客の受付と公娼の溜まり場、格子窓から公娼を見ることが出来る構造。

  二階は、広い宴会場で、酔客の落下防止のために広い窓の外側に手摺を設けている。

 ・表屋に縦方向に奥に延びる建物は、客室と思われ小部屋が奥に向かって続いている。

 ・一番奥の別棟となっている入母屋の二階建ての建物。

  家人と公娼の住居として使用したものと思われる。  

【関連写真】

​ 今の残る橋本宿の街並み2018_01_04 金只   2.廓造の配置図2019_12_02 金只   

 廓造の表造2018_01_04 金只   装飾を施した1Fの格子窓と欄間2018_01_04 金只   

 装飾を施した2Fの欄間と手摺2018_01_04 金只   奥に続く接客部屋と娼婦等の住居2018_01_04 金只   

 廓の裏・川沿いの風景2018_01_04 金只   

【補足説明】

①.橋本の由来:行基(668-749)が架けたと云われる「山崎の橋」のたもと在ること。

   紀貫之(866-945)の「土佐日記」にも登場する。

②.橋本の渡しは、「山崎の橋」は何度も流されたことによって西国街道との往来に作られた。

   1962年まで運行。

③.「橋本」は石清水八幡宮に参拝する人達の宿泊場所であった。

   平清盛、源義朝時代にすでに遊里があったと思われる。

④.江戸時代に入り、京街道の一部に繰込まれ遊郭として繁栄した。

   最盛期には、京街道沿いに75の妓楼が並び娼妓は400名以上だったとのこと。

⑤.1958年の公娼制度廃止後、遊郭の灯は消え現在は閑静な街になっている

   民家の屋根、玄関、格子の造りには遊郭の華やかな面影が残っている。

⑥.この町並みは宮尾登美子原作の1982年の映画『鬼龍院花子の生涯』にも登場している。

【参考情報】

インターネット:橋本宿の古民家