ここでは、百済王神社(大垣内) について紹介します。
在所:大垣内一丁目3
【ポイント】
①.慶安3年(1650)、江戸幕府によって中宮を追われ、大垣内に移る。中宮の百済王神社から三松氏の邸内に分霊。
②.延宝9年(1681年)寺社改めで氏神に。
③.明治維新後、三松俊忠は、社殿、境内地を大垣内に寄贈
【関連写真】
【補足説明】
①.三松家近代史より
大阪府全史によれば、大垣内の百済王神社は、慶安3年(1650)に中宮の百済王神社から三松氏の邸内に分霊されたとされる。
旧枚方市史によれば延宝9年(1681)寺社改めで大垣内の氏神と記され、明治維新の後、三松俊忠が社殿・境内地を大垣内部落に寄付されたと記されています。
現在の神社は、祠のようなささやかな社が並んでいて、右側の祠は、稲荷神社のようである。社の前に建物があるが、土台・柱・屋根のみが残っている。この建物は、祭礼や集会などに使用されたものと推測される。
新しい石の鳥居には奉と納が左右に刻まれ、裏側には平成5年10月吉日 大垣内実行組合と刻まれている。