ここでは、関大明神 について紹介します。

在所:三島郡島本町山崎一丁目5-10

【ポイント】

①.祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)

     天児屋根命(あめのこやねのみこと)

➁.古くは山崎橋も存在した交通の要所で関所が設置されていたことから山崎院の鎮守社でもあったと伝わる。

 この社の前を流れる小川が摂津国と山城国の境であったとされる。

③.文化財

 ・本殿:室町時代中期建立で大阪府指定有形文化財

【関連写真】

 京都府境の関大明神2023‗10_12 金只   標柱(従是東山城国)2023‗10_12 金只   

 関大明神全景2023‗10_12 金只   手水舎2023‗10_12 金只   

 拝殿前の案内板2023‗10_12 金只      

 

【補足説明】

①.現地案内柱(関大明神)

 当社のはじまりは不明ですが、当地が古代摂津国と山背国(ヤマシロノクビ)(後の山城国)の関所である山崎の関の跡と云われ、関守神(セキモリノカミ)または辻神を祭っつのが起こりではないかと想われます。この関所は当時、交通の要であり、時には朝廷が兵を遣し守らせる重要なところでした。しかし、平安時代のはじめころには関は廃止されていたらしく、その跡地には関戸院という施設が置かれ藤原道長や平家一門など貴族や宮人の宿泊に利用されていたようです。現在の本堂は室町中ごろに建てられたと思われ、大阪府の重要文化財に指定されています。祭神は大巳貴命・天児屋根命又は大智明神。

①.現地案内柱(山崎宗鑑)

 山崎宗鑑( ~1553)は「新撰犬筑波集(シンセンイヌツクバシュウ)」を撰集し、俳諧の開始者としsて知られ、その名が示すように山崎の地に一時住んでおりました。当時大一級の文化人とともに活動しており、没後も彼を偲びこの地を訪れたも多く松尾芭蕉もその一人で西遊の途中立ち寄り次のような久を詠んでいます。

 ありがたき すがたおがまむ 杜若(カキツバタ)

 宗鑑の屋敷は江戸時代に描かれた絵図などによると関大明神の北側あたりとされ、近くには「宗鑑井」と伝えられる井戸が今も残っています。

 

【参考情報】

Wikipedia:関大明神

Wikipedia:山嵜宗鑑