ここでは、須賀神社 について紹介します。

在所:枚方上之町 2-12・・・現意賀美神社の敷地

【ポイント】

①.須賀神社は、当地あった萬年寺の開祖「聖宝上人」が、牛頭天王社(祇園社)勧請し創建

②.明治3年(1870)に、萬年寺は廃仏毀釈令で廃寺となる。

③.明治5年(1872)に、旧三矢村の氏神として村社に列格した。

④.明治42年(1909)に、意賀美神社に日吉神社と共に合祀され廃社。

【補足説明】

①.須賀神社(スガジンジャ)とは

 須賀神社は、牛頭天王・須佐之男命(スサノウノミコト)を祭神とする祇園信仰の神社で日本全国に存在する。「すが」は「須我」「」「酒賀」「素鵞」などとも表記される。他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社(八阪神社・弥栄神社)、祇園神社、広峰神社、天王神社、八雲神社、素戔嗚尊神社があり、時代や資料によって通用される。

 社名は、日本神話において、スサノオが八岐大蛇を退治してクシナダヒメを妻とした後、出雲国須賀に至って「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と言ってそこに宮を作ったことに由来するものである。須賀神社の多くは、明治の神仏分離まで「牛頭天王社」などと称していた。

②.元ボランティアガイド南場氏資料より:須佐之男命(日本書記では素戔嗚尊) 古事記にでてくる話

 須佐之男命(天照大御神の弟)は、凶暴で天の岩屋戸の事件を起こし、高天原を追放されたが、後に出雲の八岐大蛇を切って、出てきた大刀を、天照大御神に献上した。これが、のちに大和朝廷に伝わって三種の神器のひとつとなった『草なぎの剣』(天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)=やまたのおろちを退治したとき尾から出てきた大刀)ある。この剣は、尾張の国(愛知県)の熱田神宮にご神体としてお祀りされている。

 さて、高天原では乱暴ばかり働いていた須佐之男ですが、ここ出雲では英雄です。それに、櫛名田姫(クシナダヒメ)という美しい妻も得て、とても幸せそうなごようすでした。

 ある日お二人が出雲を歩き回り、新居をさがし求めていたとき、見晴らしの良い土地に出くわしました。「おおっ。ここはなんとすがすがしいところだろうか」 (原文では「須賀須賀斯」)と須佐之男はそう言って、その地を須賀と名づけ、そこに立派な宮殿をお建てになられたのでございます。その場所が神社や鎮守の杜となって日本の各地にたくさん残っているのでございます。 やがて宮殿が完成したとき、お二人のご結婚を祝福するかのような雲が、幾筋もむくむくと立ち昇りました。その情景を須佐之男は歌に詠まれました。

     八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

 この三十一文字から和歌がはじまり、万葉集、古今和歌集などへと受け継がれていきました。そしてごく自然に人々の間に歌を詠むことが流行りだし文化として定着し、中つ国は(日本)歌詠みの国とまで云われるようになったのでございます。<インターネットより>

 万年寺山にあった須賀神社の名称の出所はこの須賀では

【参考情報】

Wikipedia:須賀神社