ここでは、鵜殿の葭原 について紹介します。

在所:道鵜町一丁目8-1

【ポイント】

①.三川合流地点から5kmほど下ったの淀川右岸河川敷に広がる葭原

➁.ヨシの群生地は広さ75ha、長さ2.5kmあり野鳥や動植物の貴重な生息地。

③.宮内庁の雅楽の篳篥(ヒチリキ)の蘆舌は今でも鵜殿産のヨシで作られている。

【関連写真現地未調査未調査

【補足説明】

 鵜殿のヨシ原2023_05_27 金只   案内板設置個所2023_05_27 金只   

 標石(鵜殿葭の原)2023_05_27 金只   案内板2023_05_27 金只   

 案内標石板2023_05_27 金只   ヨシ原を跨ぐ橋脚工事2023_05_27 金只   

 

【補足説明】

①.現地案内板(鵜殿葭の原)

 鵜殿の葦は雅楽の楽器ヒチリキの舌として最適といわれ、古書雅遊漫録にも「簧(ジタ)はよしにて作る津の国鵜戸野村の蘆を重寶とす、その外のものは早く損じ音もあしし古く久しく枯らして作る家々にいろいろの習あり」とある。江戸時代に徳川幕府が治水対策として葦を刈ることを禁止したが、村人たちは京都の御所へ楽器の材として納入することを盾に葦刈の権利を確保しつづけた。

 現在もその権利が認められていて鵜殿の河原には葦の群生がみられる。

 「世の中ようど野に蘆のよしとても

   ほに出りけりな秋の夕暮れ」

   烏丸権中納言

➁.現地案内板(鵜殿のヨシ原)

 鵜殿は、淀川河川敷の上牧と前島の間に広がる約60haの一帯で、葭(葦)や萩、背高葦等の大型湿性勅物が群生する、自然豊かな地である。

 特に葭は、古くから「鵜殿の葭」として知られ、茎が太く、肉厚で弾力性に富んでいることから、雅楽器「ヒチリキ」の鷺舌(ロゼツ)(吹き口)として重用された。また近世では、立〇(タテス)や簾(スダレ)に編み上げられ、日除けや宇治の茶畑の覆い、寒天を晒す簀(ス)に用いられるなど、高槻の特産品の一つであった。

 しかし、雑草の繁茂等によってヨシ原が絶滅の危機に瀕したため、昭和50年からヨシ原焼きを復活。毎年2月には、春を呼ぶ伝統行事として多数の人が訪れる。

 鵜殿の歴史は古く、日本で最初の仮名書き日誌『土佐日記』の中で著者の紀貫之が承平5年(935)2月に、鵜殿で宿泊したと記されている。また中世には春日神社領の関所があり、往来する船舶から関銭を徴収していた。

 「鵜殿葭の原」の碑は、明治8年(1875)に始まる淀川改修100周年を記念して建立されたものである。葭は、一般には葦と呼ばれるが、”悪し”に通じることから「葭(良し)」に言い換えられたという。

    平成2年2月 高槻市教育委員会

【参考情報】

Wikipedia:鵜殿のヨシ原