メープル小学校の名前、メープルがなぜ着いたのかご存知の方がありましたら教えてください。

メープル小学校の校名の由来ページには「新設されたメープル小学校は、緑多い自然環境に恵まれ、幌向川沿いのメープル街道の基点として位置する複式校である」と書いてありますが、なぜ、他の樹木ではなく、楓なのかがわかりません。

い方で、メープル小学校の前身はすぐ近くにあった上志文小学校だと思われます。上志文小学校の跡地には花崗岩でできた二宮尊徳の石像が残っています。明治31(1898)年4月開校、平成11(1999)年3月31日閉校です。同じく万字線沿線にあった朝日小学校(昭和15年(1940年)開講、平成11年(1999年)閉校です。この二校が統合されメープル小学校が誕生します。


「幌向川沿いのメープル街道」とは

メープル小学校近くを流れる幌向川の上流にあるメープル・ロッジの間の道路(旧万字線と並行する北海道道38号夕張岩見沢線)のことを指すのだろうか。


岩見沢市は旧万字線沿線の1992年(平成4年)3月31日 に毛陽小学校閉校します。そして、学校の跡地に1994年(平成6年)10月9日 - 温泉宿泊施設「スパ・イン メープルロッジ」オープンします。1998年(平成10年)4月1日 に他の施設と合わせて毛陽交流センターオープンさせました。メープル・ロッジのメープルは、カナダの木材を使ったログハウスだったので、カナダの国旗からメープルを名前に付けたということです。

もしかすると、メープル小学校から毛陽に続く、旧万字炭山で栄えた地域を結んだ道を、廃坑と万字線の廃線の後、メープル街道と呼んで振興しようとした岩見沢市の政策の一環で「メープル街道」「メープル小学校」上志文界隈で作る米を「メープル米」と呼ぶようになったのだけど、ペープル街道は定着しなかったのではないか。

 

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