育ててもらった福島で商人を続けたい
震災後、福島市内の商人たちが集まってつくったウェブサイト
「売上げは落ち込み、土曜・日曜の週末の街は、以前と比べても人出が減り、閑散としています。しかし、嘆いてばかりはいられません。私たちは協力して助け合い、そして生き抜いていかなければいけないと思っています。避難をされた方、移住をされた方がまた福島へ戻って来た時に、元気で活気のある福島でありたいと強く思います。ここで生まれ、育ててもらった福島で、私たちは商人を続けていきたい」
原発事故の影響を受けた福島市で、一つのサイトが誕生した。
LIFEKUはライフクと読む。福島を訪ねると「ご来福ありがとうございます」と言われることが多い。この来福という響きに英語のlifeをあわせて、福島での暮らし、福島に来てほしい気持ち、この国に福をもたらしたい気持ちを込めたタイトルだという。
既存の商店街の枠組みをこえて感性で呼び合う店主達が、互いの店の魅力を取材しあい、記事を載せている。地元のデザイナーがその心意気に共鳴して参画した。今後、福島の歴史や文化、自然を紹介し、商業の振興と社会貢献を同時に行おうとしている。「福島は商人同士が仲が良い」ので共同して「私たちのセンスやスタイルを県内外へ発信」したいとしている。
福島市のブランド力を高める活動だと気づく
LIFEKUの製作を呼びかけた薮内義久さんは「皆でミーティンングして、なんとかしようと考え、皆で解決する機会が増えました」と、ウェブサイトのコンセプトワークや、取材、編集作業を通じてお互いの魅力を再認識できたという。
「仲間に入りたいって言われるものにしないと」と、このLIFEKUを新規参入者に憧れられるようなブランドに育てようとしている。「参加店をセレクトする基準を作って、選考者には県外の人にも入ってもらって」と具体的だ。商売のセンスの磨き方を教えあえる、悪いことは指摘しあえる、福島の商人の底が上がっていく仕組みをつくりたいという。
2012年1月1日にサイトが開いてから早々にメディア等が利用している。
男性洋品店のピックアップが企画したピンバッチをLIFEKUのプロジェクトに昇格させると、地元の新聞やテレビに取材されることはもとより、大手ファッション誌が取り上げることになったり、東京のデパートから出店を依頼されたりとブランド形成の道を辿り始めている。
「商品開発部門もつくったんですよ。だからLIFEKUオリジナル商品も生まれてくるんです」と楽しそうだ。これまで、仲間でイベントの運営を行ってきたけれど、サイト編集を行うようになって、集まる機会も増えたし、何かイベントとイベントの間も繋がるようになったという。
「商売の道具、トラック一台に積んで、全国どこでも生き抜きますよ。そんな用意もできています。でも、なんとか、福島でやり抜きたいんです」と妻子を山形県に避難させながら奮闘している。
(取材日:2012年1月22日 ネットアクション事務局 杉山幹夫)