谷田部には、こんな言葉が遺されている。

『谷田部に過ぎたるもの三つあり 不動並木に 広瀬周度 飯塚伊賀七』

ここで言われている「不動並木」とは、どんな並木だったのだろう。

その場所に、もう松並木は遺されていないが、こんな案内看板が立てられている。

【不動並木】

 この松並木は、ここより南へ沿道200mにわらち、その数大小合わせて約200本に及んだ。

 松の植樹年代は明らかでないが、約300年前、時の谷田部藩主細川興昌が、参勤交代の便宜上細川氏の領地の中で、江戸に最も近い当地に、茂木より居所を写した際、城下町の形態を整えるために松を植樹したのが始まりと推定される。

 松の成長はきわめて順調で、幕末の頃には、すでに一偉観を示すようになり、当時の人々に、谷田部に、過ぎたるものとして誉め称えられるようになっていた。(つくば市案内看板より)