避難所運営から日常に戻る支援への転換

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名前と顔が一致しないようでは避難者のための対応はできない

建設から50年以上が経過した旧庁舎を建替え、平成23年1月に開庁したばかりの福島市の新庁舎にお邪魔した。新庁舎は震度7相当にも耐えられる免震構造で非常用自家発電設備を設置していた。停電時の緊急措置として3日間建物内へ電力供給ができる。災害対応の拠点として、そして住民の避難場所としてその役目を果たした。建て替えをできずにいて、被災してしまった福島県庁とは対照的だった。

 

 

3月11日の震災以降、この庁舎で休みなく働く福島市職員の半澤一隆さんと二瓶芳信さんのお二人にお話を伺った。

 

危機管理室の半澤さん

 

 

「次年度に向けて自分が担当していた事業の打ち合わせの準備をしていた最中に突然の地震。その直後から想定していないことばかりでした。防災を所管する危機管理室だけでは対応ができないので、所管を越えて動きました。その都度考えながら行動しました」と語る政策推進部危機管理室放射線総合対策課の半澤さん。当時は同部企画経営課に在籍していた。

 

「地震直後、水道が止まる恐れがありましたので、被害状況が分からないまま、市内を広報車で巡回しました。当初、福島市民のために何ができるかしか考えていなかったのですが、翌朝から浜通りの方が避難していらした。福島市は近隣自治体が被災したときに後方支援するということが想定できていませんでした」と直後の状況を振り返る。

 

 

続々と福島市に避難される方々のために避難所の確保に追われ、市役所のロビーでも既に数百人の避難者がいた。市の施設だけでは対応できないので、県に協力を依頼し、県立高校なども避難所として活用できるようにした。

 

避難所で避難者一人一人と対話する中で「このまま避難所で生活し続けることはここにいる人達のためにならない。できるだけ早く避難所を出て生活を取り戻してほしい」と思うようになったという。「例えば、被災しても仕事を続けていて、お父さんが週末しか避難所に戻って来ない家庭がありました。家族がそろって初めて、将来の話ができるわけで、その週末にお邪魔して生活再建のお手伝いをしなければ、お役に立たないんです」と被災自治体の職員と一緒に避難所を回った過程を教えてくださった。「施設の許容人数だけを見て対応しても駄目なんです。名前と顔が一致しないようでは避難者のための対応はできないことに気づいたのです」と、「避難所の運営」から「被災者が日常を取り戻す支援」への意識転換を現場の職員から始めていったことがよく分かる。

 

「ある日、用意したご飯が大量に余っていたのを見て、ちょっとまずいなと思いました。炊き出しなどは本当にありがたいのですが、過度な支援が自立を妨げてはいけないと思いました」と支援のタイミングへの指摘も頂いた。避難所の設置はどこでも良いという訳ではなく、病院などとの距離も重要となる。避難所での過ごしやすさを追求しつつも、避難所はあくまでも避難所であり、自立のための閉鎖時期やその方法が重要なのだと認識したという。

 

 

 

 

 

企画経営課の二瓶さん

 

 

二瓶さんは5月から企画経営課に異動。半澤さんの後任だ。震災当時は会計課に在籍していた。「地震後は避難所の開設を行いました。当初避難所に指定されていた施設が停電したことから、訪れた避難者に電源がある近くの施設に移動してもらい、まずストーブを準備し、畳を敷いて毛布を一枚ずつお渡ししました。そんな風に避難所を一つずつ開設しました」と当時の状況を振り返る。

 

「9月に台風15号が接近したとき、濁川の水量が急激に増えました。住民に危険をお知らせるため広報車を走らせましたが、どの経路で回ればよいのか、住民の皆さんに正しく伝わっているかが分かりませんでした。結局、地元消防団に対応していただきました。普段やっていないことを急にはできないことを痛感しました。また、今回の震災対応の総括がまだできていないんです。例えば避難所の閉鎖一つをとっても、経緯や考えなどの情報発信をこまめにしておくと、それが総括になると思います。情報発信と共有の重要さは分かっているのにその作業ができていません」という。

 

「日ごろからの備え。形だけの訓練ではなく、想定して実践する。具体的なシミュレーションが必要だったと思います。例えば学校の運動会と一緒でも良いので、炊き出しや地域で何かあった時にすぐに集まれる仕組みを、日常的にやっている必要があったのではないかと。災害時に日常的にやっていることを行えば役に立つ。そういうことをする必要があると感じました」。日常からやっていることを非常時にどのように活用できるのか、非常時を想定して日常から意識した行動をすることが重要だという。

 

自分自身も被災者。なぜ頑張れるのか。

 

半澤さんは「どんな時でも一人で仕事をしているという気持ちはないですね。一緒に仕事をした人、例えば福島を離れた人であっても、心の中では今でも一緒に仕事をしていて励まされている気持ちがあります」という。震災対応で一緒に仕事をしてきた人達との繋がりがあるからこそ頑張れるのだと。

 

二瓶さんは初めてフィールドワークのため桃農家を訪れた時の想いを語ってくれた。「最初はフィールドワークに行くのが不安でした。市役所のせいで除染が進まないと言われるのではないかと思っていました。実際にお話を伺うと市役所、そして市職員に、感謝の言葉さえいただいてしまいました。本当に嬉しかった。市民の皆さんに励まされているからこそ頑張れると強く思いました」。

 

(取材日:2011年12月9日 ネットアクション事務局 山形信介)

 

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This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

 

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