増福院(ぞうふくいん)、石宝山浅間寺は、かつて矢作にあった古義真言宗寺院。本尊は正観音。江戸時代には小田原大工町(浜町)・蓮上院の末寺で、矢作村と中里村鎮守浅間社の別当寺だった。(1)

沿革

創建

寺伝によると、文禄13年(文禄3・1594?)の建立で、開山は宗哲という(2)

もともと、寺院の周辺は東海道の間道として人通りが多く、旅行中に斃死した人を弔い、旅中の安全を祈願するために寺院を建立して、本尊として観世音菩薩像を安置、観音堂と称したという(2)

蓮上寺(蓮上院?)1代宗哲が領主に出願して観音堂を建立した、ともいう(2)

  • 『風土記稿』の蓮上院の伝によると、同院は建長6年(1254)に僧・実証によって創建されている(3)

廃寺

明治維新の後、廃仏毀釈により明治6年(1873)に廃寺が決まり、信徒が本寺の蓮上院と協議した結果、春光院の門前にあったことから、宗派は異なるが同院と合併し、什宝は春光院に安置することになった(2)

亀興院

しかし明治13年(1880)に、村民の意向により、念仏堂(浄土宗の寺院)・亀興院として再建された(2)

本尊

本尊の正観音像は恵心の作とされていた(1)

八幡社

境内に八幡社があり、その傍らに周囲1丈3尺余(約4m)の銀杏の老木があった(1)

参考資料

  1. 風土記稿
  2. 大橋俊雄『浄土宗神奈川教区寺院誌』神奈川教区教務所、1962、p.309
  3. 『風土記稿』小田原 大工町 蓮上院