本誓寺 参道本誓寺(ほんせいじ)、当知山重願院は、城山2丁目にある浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来(1)(6)。文亀元年(1501)の創建で、開山は伝蓮社曜誉西冏・信公(永正4年・1507没。江戸・本誓寺の伝によると、飯沼弘経寺3世)、開基は藤枝某(鎌倉の人。法名:安楽寺。事蹟不詳)(1)。江戸時代には京都・知恩院の末寺だった(1)

沿革

『全国寺院名鑑』によると、開基の藤枝某は今川修理太夫氏親の従侍だった。開山・曜誉西冏や檀家と相議し、小田原城主に寺地を求めて下賜され、文亀元年(1501)に堂宇を建立した。(6)

1923年(大正12)に関東大震災のため倒壊。1928年(昭和3)に再建された(そのまま、1970年に至る)。(6)

什宝

仏像

『風土記稿』には、本尊の三尊阿弥陀のほかに、阿弥陀像が2躯あったとされている(1)

歯吹阿弥陀如来像

本誓寺 本堂

1つは安阿弥の作、歯吹の(口を少し開いて歯をのぞかせている(2))如来で、秘仏とされていた(1)。蓮座も含めた像高は4尺2寸(約127cm)(1)。開基・藤枝氏の守護仏だった(1)。永正17年(1520)2月に2世・観蓮社暁誉厭欣の記した縁起があった(1)

もう1つは運慶の作とされ、蓮座も含めた像高は4尺7寸5分(約144cm)あった(1)

文化財指定

2体の歯吹阿弥陀如来像は、歯吹の面相や足裏に仏足文を表していること、両手が銅で作られていることなどの工夫がされている貴重な仏像として、1992年(平成4)に神奈川県の文化財に指定された(2)(3)

その際に、安阿弥作とされる像は、木造・漆箔で、(蓮座を除いた)像高は78.0cm、制作年代は13世紀中頃(鎌倉時代後期)、運慶作とされる像は、木造・漆箔で、(蓮座を除いた)像高は80.7cm、制作年代は13世紀後半と推定されている(2)

旧本尊の行方

『風土記稿』によると本尊は三尊阿弥陀であるが(1)、1970年の『全国寺院名鑑』、1992年の文化財指定の際には、同書で本尊以外の2体とされているうちの1体が本尊とされている(2)(3)(6)

また、本誓寺は(浄土宗の)足柄33観音巡りの24番に数えられているが、本尊の拝観をお願いしたところ、観音様は無いといって断られたという報告がある(4)

(三尊阿弥陀の所在は不詳)

仏画

山越弥陀三尊画像(伝恵心作)があった(6)

古文書

『小田原及箱根史料』に、(年不詳)4月16日付で後北条氏宗悦)が本誓寺にあてて出した禁制を載せている(5)

古記録

歯吹如来漢文縁起(永正17年・1520 当山2世筆)、同和文縁起(享保2年・1717 筆)があった(6)

境内

1970年当時、境内は323坪(約32.7m四方)、建物は本堂34坪(約10.6m四方)、庫裡52坪(約13.1m四方)(6)

鎮守社

境内の鎮守社には八幡諏訪稲荷が祀られていた(1)

江戸本誓寺

本誓寺 本堂の扁額江戸深川・本誓寺の寺伝に、小田原本誓寺6世・大誉文賀が文禄4年(1595)に江戸(日比谷御門の辺り)に一宇を創建したことと、山院寺号が小田原に因むことがみえるが、小田原の本誓寺ではこの伝は失われていた(1)。寺地は後に深川に移転した(1)

寺紋

寺紋は月影杏葉(2019年調査)

リンク

参考資料

  1. 風土記稿
  2. 小田原市文化部文化財課「彫刻・本誓寺の阿弥陀如来立像」小田原市公式サイト、2013年5月31日
  3. 神奈川県教育委員会教育局生涯学習部文化遺産課『神奈川県 文化財目録 令和3年5月1日現在』2021年5月、p.28
  4. 足柄山の金太郎「第二十四番 本誓寺」『足柄33観音巡り』2012年7月15日
  5. 本誓寺文書」石野瑛(編)『小田原及箱根史料』〈武相叢書第4編〉武相考古会、1932・昭和7、p.37
  6. 全日本仏教会寺院名鑑刊行会『〈改定版〉全国寺院名鑑 北海道/東北・関東編』同左、1970年3月(初版1969年3月)、p.419