武藤清康(むとうきよやす、生年不明 - 正応2年(1289)3月2日)、武藤治部少輔、入道法久禅門は、小田原の住人、中町3丁目の本久寺の開基。法名:法久寺殿蓮秀一儀。(1)

藤原鎌足19代の子孫にして伊豆国の押領使・工藤氏の祖・維光の子・大蔵允光行は初めて武藤と称した。清康は光行の10世の子孫とされている。(1)

元亀2年(1571)4月に本久寺の住僧が記した伝記と同寺所蔵の開基の系図によると、清康は日蓮に帰依して宅地に法華堂を造営し、駿州豊後房・日満を招いて法華宗の講義を受け、のち堂主となった大法房・日善に東西60間(約109m)・南北100間(約182m)余の田園を寄進し、大堂宇を建立。弘安5年(1282)9月に日朗を導師として(開眼)供養を行った。(1)

正応2年(1289)3月2日に法久が死去した後、五七日に法華堂は改めて「法久寺」と号した(1)

参考資料

  1. 『風土記稿』中島村 本久寺

Pages tagged “武藤清康”

Add new "武藤清康"