風外慧薫(ふうがいえくん、生没年不明)は、曹洞宗僧侶(1)成田成願寺の住持(1)

経歴

上野国碓氷郡土塩村(群馬県安中市松井田町土塩)に生まれた(1)

幼くして出家した(1)

諸宗の学を究め、著名な老僧を訪問して、大事了畢した(修行を終えた?)ので、僧侶たちの間で有名になった(1)

この頃、成願寺の住職の座が空席となったため、請われて住職となったが、数年で辞職して、曽我山の岩窟に住み止まった(1)

慶安元年(1648)、小田原城主稲葉氏が、その名声を聞き及んで、小田原城中に招請したが、のちに退去して、伊豆の山中に隠棲した(1)

(ご当地)北条の信徒が竹渓院を再興して迎え入れたが、3年ほどで逃れ、遠江国へ移った(1)

晩年は、同国金指郷石岡里(静岡県浜松市北区細江町三和)の草庵で暮らした(1)

或る日、青銅300文を与えて穴を掘らせ、自分がその穴に入って埋めさせ、植木のようになって死去した(1)

評価

『曹洞宗人名辞典』は、「師は画を善くし、殊に水墨の達磨は絶妙であった」と評している(1)

参考資料

  1. 稲村坦元『曹洞宗人名辞典』国書刊行会、1977、p.23

Pages tagged “風外慧薫”

Add new "風外慧薫"