開拓の歴史は、明治 20 年代に大楽毛原野などの殖民区画の国の事業で実施したことに始まる。明治34年には大楽毛駅が開設されたが、当時の入植者は少なかった。

明治44年に大楽毛家畜市場が開設され、第一次大戦後の好景気を背景に、大楽毛は日本第三馬市へと成長していった。

昭和24年、釧路市に鳥取町、白糠村の一部が合併したのに伴い、釧路市大楽毛となった。当時の戸数は約150戸ほどあった。

昭和32年に本州製紙(現王子マテリア株式会社)が大楽毛に工場を建設することになり、工事関係者や従業員によって人口が増え、大楽毛は急激に成長していった。

昭和40年には釧路工業高等専門学校が開校、42年にはよつ葉乳業根釧工場が操業を開始した。

45年からは、大楽毛の各地で土地造成により建築ブームがおき、世帯数も大幅に増加していった。48年からは、水産加工団地の整備も始まり、こうして、現在の大楽毛が作られていった。

 

出典:大楽毛地域づくり協議会発行「Otanoshike Map」