新幹線佐久平駅開業記念碑 について知っていることをぜひ教えてください

新幹線佐久平駅開業記念碑

佐久平に光あれ
 長土呂 は平安末期、承安の頃開発され、鎌倉時代中頃、 大井光泰 が同地に居館を構え、集落も整備されました。長土呂は平坦地で林地、畑地、水田等ほどよく広がり、水利にも恵まれた農耕地帯でありました。住民は豊かな自然の恩恵を受けて生活をしてまいりました。
 時移り、昭和57年12月「 北陸新幹線 アセス案」が発表されました。住民は農業と環境を守るため一丸となって同アセス案断固反対の看板三基を建てて行政側に激しく抵抗しました。
 その後、区内には、高速交通時代の到来を認識して、受け入れ論も徐々に高まり、両者の間で激しい論争が起りました
 平成3年9月28日、区民総会において、拒否論渦巻くなかで、区長の立場から受け入れを提案し、万雷の拍手で承認されました。
 このことは、区民の苦渋の選択を如実に示すものであって、敢えて言うならば千年近い長土呂の歴史の流れの転換と区民の知性の具現の一瞬でありました。
 その後、建設工事等には、長土呂並びに岩村田地区の関係者一同よく協力し、平成9年10月1日、 佐久平駅 の開業を迎えました。
 願わくは、この佐久平駅が佐久平の繁栄に寄与することを祈念すると共に関係者の功績をたたえ記念碑建設の趣旨といたします。

撰文 長土呂区長 神津義久
書  風間幸男

平成11年3月15日

 

新幹線佐久平駅開業記念碑案内板データベースMonumento

記念碑建立の経過は『新幹線佐久平駅ができるまで 』神津義久著 2001.9神津義久刊(佐久市立図書館、市立小諸図書館蔵)に記されています。

 

Front Pageへ戻る