江戸時代の富里 について

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今から約400年前,富里はなく13の村が集まっていた。この時,台地には徳川幕府が開いた「牧」が広がっており,たくさんの「野馬」が放し飼いにされていた。この野馬は,軍用馬として育てられていた。しかし,軍用馬に利用できない馬については,「払い下げ」といって,お金持ちの農家に売っていた。富里市では,今でも牧場だったころに作られた「野馬土手」を見ることができる。

富里七栄地区にある野馬土手

牧場の中では,「牧士」という人が中心となって野馬をつかまえる「野馬獲り」という行事が行われていた。2ヶ月くらいの日数をかけて行われていた行事で,野馬は「獲込」(とっこめ)という囲いに追い込まれてつかまえれていた。このように,富里の台地は数百年に渡って,牧場として使われていたが,幕府がなくなると野馬が放し飼いにされることもなくなり,荒れ地が続く場所になってしまった。