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松前藩が開墾役所に物資を荷揚げするために設置したロクロが置かれていたと伝えられる場所です。館川と厚沢部川の合流地点にあり、そこから荷揚げした物資を上流の開墾役所まで運搬したと考えられます。

(文化遺産を活かした「素敵な過疎のまちづくり」推進協議会,2015『厚沢部町文化遺産マップ』より)


昭和34年の字名改正以前は、現在の館町市街地付近が「上ロクロ場」、新栄と館町市街地の間の地域が「下ロクロ場」となっていました。現在の住居表示上の館町の大半が「ロクロ場」地名でした。

(2016.1.25石井淳平