本陣】とは江戸時代以降の宿場で大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家のことである。旧名手本陣は、妹背家の家屋で、名手市場村にあり、大和街道沿いに面していたので、参勤交代の折、藩主がこの家に宿泊するようになり、以後本陣と呼ばれた。

妹背家は、中世以来紀伊八庄司のひとつにあげられた名家で、当時名手荘及び丹生谷を領した土豪であった。

元和5年(1619)徳川頼宣が紀伊国に封じられた後、在地の由緒ある家筋のものを地士頭の扱いを受けた。また、寛永7年(1630)からは名手組の大庄屋になり、世襲した。

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南倉

主屋の西方と南北に江戸時代に立てられた土蔵が2棟並んでいる。このうち、北蔵は、米蔵として使用されたもので、寛永11年(1634)の棟札があり、また南倉からは寛永20年(1643)の棟札が発見されている。これらの蔵も主屋とともに本陣の遺構として価値が高い。主屋に藩主を泊めた際、自らは南倉に移り住んだ為、倉の中には床の間がある。管理にの方にお願いすれば倉の中を見せてもらえます。

 

 

 

 


発掘調査

まだまだ発掘中:撮影2015年3月23日 松山

http://www.city.kinokawa.lg.jp/kouhou/houdouhappyou/pdf/siseki.pdf

調査によって多くの石組みの遺構が確認できました。馬長屋の可能性については、 断言できる資料は得られなかったものの、何らかの建物に関連する礎石がみつかりま した。その他に、当時は地中に埋まっていた排水用の石組み溝や地下式石組み遺構 があります。調査区の西端で石垣が確認でき、現在は存在していない敷地西側の土 塀の存在を想定できる資料となりました。また、現在の南倉の西側では階段状の石組 みを確認し、階段を下りた部分が周りより低い通路状になっていた可能性が考えられ るようになりました。 


アクセス

大和街道沿いにあり、隣に無料の広い駐車場が設けられています。


開館時間:AM 10:00~PM 14:00 定休日:火曜日(祝日の場合は開館。翌日休館)・12月28日~1月4日