伊都郡九度山村大字九度山字袋尻

・九度山の岩盤の東隣りの安田島にあります。紀ノ川岸で湾になっていたので、木材集積の土場として、筏流しの基地として地の利がありました。

・少なくとも明治19年に高野官林が払下げられた際には、木材集積地として使用されていました。明治38年に、ここから椎出土場まで、国有林初の木材運搬森林鉄道(軌道)が開削されましたが、翌39年に西に500mほど離れた入郷土場に移転します。

・明治34年に名倉駅(現高野口駅)が開業し、木材輸送が大きく変わりました。これまで吉野の木材も含め筏流しで和歌山港まで運び、船に積み替えて各地の市場に運んでいたのですが、鉄道駅が出来ると、そこから全国の市場に直接送りこめるようになりました。こうなると、袋尻は筏流しには便利でしたが、九度山橋を渡って鉄道駅に行くには、折角九度山の崖を降ろした木材を、再び曳揚げて橋を渡る手間が必要になります。また、施業案の伐採量を達成するには手狭であったので、九度山橋と同じ高さの入郷土場に移転することになりました。

・各土場の面積比較(袋尻は明治38年他は明治44年度)

 袋尻土場 3,600坪

 入郷土場 7,888坪(最大14,000坪まで拡充された)

 椎出土場     330坪

 神谷土場         910坪

・明治43年には、20丁ほど下流で紀ノ川対岸の妙寺に移転する計画が浮上しています。 入郷土場が紀ノ川南岸高所で切下げることが困難で、高野口駅からの汽車積みしかできず不便なので、駅近でかつ筏流しが容易な妙寺が調査候補地となっていたようです。

・袋尻の起源は不明ですが、九度山と安田については紀伊続風土記に記載がありました。

九度山 紀伊続風土記 巻之五十 伊都郡官省符荘九度山村によりますと

当村古名を古曽部といふ名義詳ならす里人の伝に当村古瓦工多しといふ然らは九度山の名は窓クドより起りしならむ。このほかに槙尾明神の祭礼が年に九度あった。とか、或いは大師が慈尊院に住し槙尾明神に詣出た時、九度目に明神に逢うなどの説があるが信用しかたし。

安田 紀伊続風土記 巻之五十 伊都郡官省符荘慈尊院村によりますと

名古曽村の南紀ノ川を隔てて相対す当村本掩アン田といふ天野の祝文ノリトに見えたり又掩田菴田安田とも書す後改めて今の名とす

1947年と2012年の九度山です。

1947年の入郷土場には、旧官舎と軌道引込線がみえます。引込線の終点には鉄工所があります。ここに見える九度山橋は旧橋で丹生川沿いのバイパスはまだできていませんので、町中の道がメイン街道です。紀ノ川の水量は明治時代に比べると非常に少ないので、袋尻沿岸には砂州が見えていますが、明治時代には砂州は無く湾状になっていました。高野山有料道路開削後の2012年では、九度山橋も新しくなり、丹生川沿いのバイパスもあり、車の流れが大きく変わっています。入郷は営林署もなくなり、道の駅に変貌しています。

出典:国土地理院撮影の空中写真(1947年・2012年撮影)に白文字を記入・加工して作成

参考文献

・高野山の木材貯蔵場(雑報・大日本山林会報告第334号・明治43年9月発行)

・紀伊続風土記(紀州藩編・天保10年(1839年)発行)

 

読み

伊都  イト

九度山 クドヤマ

安田島 アンダジマ

袋尻  フクロジリ

椎出  シイデ

入郷  ニュウゴウ

神谷  カミヤ

名倉  ナグラ

高野口 コウヤグチ

高野山 コウヤサン