別所薬師堂と梅の木別所薬師堂(べっしょやくしどう)は、曽我別所にある、薬師如来を祀った御堂。風土記稿には、臨済宗の寺院で、曽我谷津法輪寺の末寺の中華山応福寺としてみえる。

外壁(トタン張)に掲げてあった掲示時期不明の曽我別所観光協会の案内によると、本尊は瑠璃光薬師如来・脇侍・十二神将。奈良時代~平安時代には、山彦山・薬師沢の奥の「仏体が窪」という所に安置されていた。戦国時代に兵火に罹り、そのとき背面が焼けたので一名「ヤケ薬師」といわれた。その後、小田原・唐人町の中国人・葉七官の配下の者が来て、現在の場所に草庵を結んで礼拝していたが、のち法輪寺の末寺・応福寺となった。応福寺は明治に廃寺となり、薬師堂だけが残った。(2019年)