槙尾道考

弘法大師は高野山の開山の後も進行する槙尾山に詣でていた。
彼が、高野山から槙尾山に向かった道を、槙尾道と呼んだのか、どうか考えてみたいので、まず、槙尾山と高野山の位置関係を感じるために地図に示してみる。

江戸中期の絵図には、すでに「長坂」と書かれ、椎出地区の住民も長坂と呼んでいるが、この坂を「槙尾道」と呼ぶ人もいる。本来、槙尾道という名称は弘法大師が、高野山から槙尾山を目指すための道に対する呼び方で、麓から高野山を目指す道の呼び名として「高野街道」と呼ばれる道の一つで「長坂」のことを「新高野街道」と呼ぶ場合もある。この長坂は、京大阪道と神谷で合流し弁天岳の麓、不動坂女人堂に通じる。

金剛峯寺〜槙尾山(地理院地図より作成)

https://maps.gsi.go.jp/#14/34.373620/135.523610/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

金剛峯寺〜槙尾山の地形断面図(地理院地図より作成)

槙尾山と高野山 について知っていることをぜひ教えてください

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