金曜の夕方、室蘭本線の輪西駅で降りて歩く。高速バスなら「新日鐵住金前」の室民の販売所がいい。

ここは新日鐵住金の正門近く。大工場に出入りする人日が車で踏切を渡ると ころ。かつての繁栄、工場から勤務が開けて、働き者のたくさんのかっこいいおじさんたちが歩いてくる風景を思い浮かべる。そして、100年とか、数十年と か続く店を歩く。輪西の人口は激減したので、なくなってしまった店もあるのだけど、残っている店は本当に質が高い。

 

 

まずは「とり 金」

ここの大将は二代目。母さんの代からのタレは甘さ控えで、呑んべいには最高だ。もちろん豚と玉ねぎのやきとり。炭のすぐ上ギリギリでふんわり焼き上 げる。ナスは炭の中に入っている。たえず炭の位置を変えて、ゆっくり燃やしている。つい、2本ずつぐらい頼んで、食べ終わるとまた焼きたてを頼む贅沢。そして、ここの奴や焼いた揚げはうまい。近所の老舗の豆腐やから毎日やってくる。日曜は違う豆腐だけど。

 

やきとりのはしごなんて、室蘭でしかしない

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いや、輪西でしかしないかな。次 はとみちゃんにあいたくて、常連のおじさんたちにあいたくて、カウンターだけの店「ふじとり」にどうしても行っちまう。ここはやっぱり60年の老舗。末の 娘のとみちゃんが焼いている。輪西ワインを飲みながら、はじめちゃんの教えてくれた味噌を使ったタレを楽しむ。とみちゃんと話していると疲れが取れる。つ い、ラーメンも食べちまう。毎回看板をみて笑ってしまう。もう一軒、バーに行きたいところだけど、宿の門限がある。これは実はすごくて、翌朝が楽しみ。 20分かな。タクシーなら5分かなあ。とみちゃんは「歩いてかえんなさい」といったり、もたもたしていると「間に合わないからタクシーよじゃっから」と か。門限ぎりぎりまで、とみちゃんや常連のおじさんと喋ってると「お前、もう帰るのか?また来いよ。連絡よこせよ」と手をにぎり、名残を惜しんでくれるお じさんと涙の別れ。なんだこの街の人情は。出会ってたった2回の友情。

 

 

 

 

絶景の宿へ

さあ、みゆきの丘を登ると、新日鐵住金の工場の夜景の向こうに白鳥 大橋が見える。

そして、イタンキの浜を見下ろすと太平洋にスケソ釣りの明かり。波の音、工場の音。室蘭ユースホステルにたどり着く。さっと風呂に入って、部屋に戻り、寝ち まうと、明るくなったら目が醒める。カーテンなんてしない。夏至の日の出は3時代。7月に入ると4時代。太陽は北に回り込み、クジラのようなイタンキの岬に 日が昇る。

 

 

ルイ子さんを想う

ユースホステルの位置には、昔、ゴルフ場のクラブハウスとティーがあったそうだ。潮見公園と呼ばれる一帯は素晴らしいコース だったのだろう。室蘭出身のフォトジャーナリスト、吉田ルイ子が小学生のとき、アイヌの少年に美しいゴルフ場を案内しようとして、門番に阻まれ、どんなに抗議をしても入れてもらえな かったという由緒。家に帰って母親に泣いて報告し「差別」というものを知った。彼女はアメリカでライカを手に、黒人たちの生活の輝きを写す。東洋人として、女性として白人社会で生きながら「ペンと写真で闘う術を身につけた」。その言葉と写真は南アフリカのアパルトヘイト崩壊の一助になるものだったという。明日は港の文学館に行って、彼女の写真集を覧せてもらおうか。

 

朝陽に抱かれる

自分の街ならぐっすり眠っているような時間に、一時間以上、海と波と朝陽と有明の月を楽しむ。海から昇る朝日はなんとも気持ち良い。そして、膝丈ぐらいのミ ヤコザサの覆う断崖の上を歩き出す。水を持ってゆっくりと。トッカリショまで4キロの旅だ。自分はどこの国の、どの時代の、誰なのかわからなくなる。絶景 と海燕の乱舞を見て、トッカリショで折り返し。もう一回ミヤコザサのトレイルを歩いて、すっかり陽の登ったイタンキの浜を見下ろし、ユースホステルでシャ ワーを浴びて、一休み。

 

 

昼に合わせて輪西の街に降りる。ゆっくりゆっくり歩いて「蘭亭」で昼飯だ。

 

 


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