https://ja.wikipedia.org/wiki/創成川

1866年(慶応2年)幕府の大友亀太郎が札幌村開拓のための掘割を開削した大友堀。稲作の用水、排水に使われた。

1869年(明治2年)開拓使の札幌本府建設に合わせ、石狩川河口からの水運に活用。

1870年(明治3年)南6条から南3条間に吉田掘を開削、鴨々川の下流に付く。北6条以北に寺尾堀が掘られ、麻生町で旧琴似川に合流。

1871年(明治4年)船が航行できるよう拡張された。

1874年(明治7年)水門を設置。

1880年(明治13年)鉄道が敷設で水運の廃止。

1890年(明治23年)北海道庁が寺尾堀を延長し茨戸まで北上する下流部を開削した。

1897年(明治30年)創成川は再び水運に使われた。茨戸の海抜8メートル、札幌本府の海抜20メートルの落差にパナマ式水門が7つ設置された。

1911年(明治44年)馬車鉄道の敷設で水運は減る。

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鴨々川

中島公園の川上で豊平川から取水されて中島公園内を幾筋かに別れ、菖蒲池を潤し、中島児童会館の建物の下を流たたり、豊平館西や日本庭園の中を流れたものが合流してススキノ南部で、東流。東一丁目と西一丁目間に到達するまでが、鴨々川(かもかもがわ)と呼ばれているようです。

 

南9条から北向き。緩やかなカーブに沿った建物

 

 

中島公園を流れる鴨々川

札幌コンサートホールKitaraの前で鴨々川の分流が勝負池に注ぐ